(仮設住宅へ)
私ら年金生活やからね、住所もここ(高木東町の仮設住宅)へ移したんです。移さんようにも思ったんですが、年金の手続上、“行ったところにしてもらわんと困る”って言われたからね、役所に言うてここの番地で届けてね。また今度引っ越ししたら、また手続きせんならんけどね。
私ら退職してるでしょ。退職者の組合が、会費納めてますからね、“社宅に空いてるとこあるから、もし入るところなかったら、しばらく入ってもいいようにお世話さしてもらいます”いうような通知がありましたけどね。ちょうど仮設住宅に当たった後やったから、お断りしたんですけどね。やっぱり大きいところ入ってたら、組合の力というんですか、心強いですねえ。
(仮設住宅の建物)
−部屋を拝見しましたけれども、目張りをなさったりずいぶん工夫されてますね。
ええ、これは目張りが下まではなかったもんで、私が買うてきてしたんですよ。ここ田んぼか畑の跡でしたから、隙間からダンゴ虫みたいなんが出てくるんですよ。私、虫嫌いですねん。それから、配管の穴からねずみが出てきたりしますよ。それも一人前の野ねずみですねん。ゴキブリホイホイ言いますの、あのゴキブリの鳥餅みたいなの、あれに入ってるんですよ。朝何がチュウチュウ言うてるんかな思ってそれ見てみたら、ぽっと顔出したからね。もうびっくりしましたわ。それからずっと置いてますねん。後はもう、出て来てやしませんけど。私神経質なほうやからね、もう気持ち悪くて。
−隣の部屋歩くとき、そろそろというんですか、そう見えたんですが、どこか建て付けに問題が?
そうですねん。夏に、床の釘が全部抜けましたん。前からギシギシいうてたんで、夜中なんか隣に気兼ねして歩かれしませんでしたん。それで見てもろうたら、床の釘が全部抜けてたんです。なおしてもろうたけど、今でも波打っているし、まだギシギシいうでしょう。(その他、押入がないこと、ユニットバスに段差があり、つまずきやすいこと、靴脱ぎ場と台所の床が同じ床面なので、結局履き物は外のブロックに脱がなくてはならなくなるなどの欠点を指摘された。)
(仮設住宅の住空間)
部屋狭いですからね。4畳半でもね、普通の4畳半と違って団地サイズの4畳半でしょ。だから、本当はこの冷蔵庫かって大きいの欲しいですよ。だけど、ここに入る大きさのがなかったんですよね。もっと大きいのはたくさんあってもね、小さいのに皆がいくから、私は大阪から取り寄せてもらったんです。とにかくここらの商店街にもね、皆なくなったでしょ。ダイエーかって、品物ほとんどなかったんですよ。あと買うとこいうたら、京都からこんなん持って来られへんしね。自動車が1年ぐらい規制されてましたでしょ、せやから、京都から1回で自動車で運べるもんでもね、“もういいわ”いうて断ってね。忌中以外の人は交通整理でストップされていて、こんなステッカー貼った車だけしか入れませんでしたからねえ。
(仮設住宅の住環境)
この雨よけのひさし、あれは半年過ぎたころついたんですね。多分、雨が降り込んで、どっかから文句が出たんでしょうね。中入ってから、あわてて傘すぼめるというような感じでしたからねえ。ここは田んぼで田舎みたいやから、台風でないときでも雨風のきついときはすごく大変なんですよ。
今はこの道、真ん中だけアスファルトで舗装してますけど、前は砂と砂利で、ものすごい埃がしてましてん。それで、去年の暮れぐらいやったかな、真ん中だけでもとにかくしてもらったらね、歩きやすうなりました。そうでないと、もう靴が傷んでねえ。それで、今年の春、2月か3月でしたかねえ、裏の雨のひさしもつけて下さってね。
あの、仮設って同じ建物やと思ってたら、業者によって違うらしいですね。ここ東(高木東)でしょ。学校の裏のとこにある高木西は、ドアがこれとちごて、隣同士が開きドアですねん。ここは引き戸ですから、半分だけ炊事場でしょ。お隣とは、ちょうど炊事場同士が背中合わせになってますからね。雨が降ったらひさしのところにね、お隣のものをちょっと置かせてあげたりしてるんですよ。“ちょっとうちに出入りするので邪魔になれへんか”いうから、“いいから置きなさい”いうてね。そうせんと、もろてきたもんが雨ざらしになってたりね。
ここへ来てから、気管(気管支)が弱なったね。道にもう埃をばーっとちらしながら、いろんな廃棄物を取りに大きなダンプカーが通ってましたでしょ。もう半年ぐらいは、買い物に行くときにマスクはめて通ってましたよ。大きな採石かなんか取るような大きな、こんな大きな車でねえ。普通の工事とか家の建築とか、私らよう見るようなダンプと全然違うの。見た事ない大きな、車の輪だけでもすごい大きな、2階建みたいな大きいトラックが行ってましたよ。網走のナンバーとかついてましたから、あちこちから来てましてんわ。ほなね、雨が降らへんもんやから、こぼしていくでしょ、その埃がこんなして舞うてますねん。ニュースでも出てましたやろ、マスクはめてね。目には埃するし、マスクはめても鼻真っ黒けになって、そんなんでしまいに気管悪なってね。せやからね、外なんか拭いても拭いても砂がもういっぱいで真っ白け。アスファルトと違いますからね。
(仮設住宅のロケーション)
ここは、場所がよろしいですからね、通勤の方が多いです。せやからね、横の道ずーっと(路上駐車の)自動車でいっぱいですわ。
仮設は、そんなどこでも建てたらええんじゃなくて、やっぱり場所。いろんな方、体壊してるとか年寄りとか、いろいろいらっしゃるでしょう。去年だったか、ご近所の方で名塩の方の仮設に当たった方がいてね、ぱたっと会うたんですよ。で、「向こう行ってらっしゃるんですか」って聞いたら、なんのなんの。駅降りたら、銀行が一つあるだで、買い物するにも何にもないところなんですって。年寄りにそんなとこ住めいうて、私びっくりしましてん。せやからね、“よう住まんで。ちょっと恐いけど、家に戻って来た。あんな恐いところ(名塩の仮設住宅)おられへん”言いうてはりました。何かね、建ってるのが駅から距離も結構あるらしくて、変なところらしいですわ。若い方や車持ってる方ならいいです。でもやっぱりね、お年寄りには、自転車も乗られへんような方がいますからね。誰でも行ったらいいわけじゃないですからね。適材適所いうのか、その人に合うたところに入れたらと思いますねえ。
(仮設住宅のコミュニティ)
ここはね、やっぱりいろんな方が住んでらっしゃるから、1軒だけがきれいにしててもあきません。皆がちゃんとせんとね。食べるもんがあるからネズミなんかが出てくるんやと思います。
あそこの家、入り口のところに犬がいてるんですよ。自分はマンションへ行って、そこには荷物だけ置いて、住んではりゃしません。マンションへは犬持って行かれへんからね、つなぎっぱなし。せやからその後ね、犬の糞とかがあって、なんぼ仮設でも向かいのマンションの人に見苦しいでしょ。玄関向き合ってますからね。何やされるのいややからね、私ら草でも自分とこの前は、手いれしてますけどね。
隣は中国からの留学生が3人。ほんとは1人だったんですけど、他の留学生の方も住むとこないから便乗して。もう出て行かれるみたいですけどね。で、やっぱり男ばっかり3人でしょう。きれいなん、いろいろもろてきたのも、もう雨ざらしになって汚い。埃だらけになって、もう放ってもええようになって。“自分1人になったら家の中入れるから”っておっしゃってたんですけどね。ちゃんとせえへんかったら、すぐに使えやしません。
ここに入って1週間目ぐらいに、大丈夫かどうか役員さんが見に来はりました。とにかく何にもないんですからね、「うわ、大変やったねえー」いわれるから、「私、服を取りだすのに一生懸命やったから」いうてね。食器は、薄いのや上等なのが割れて、どうでもいいのが残ってるんですよ。いまは、最小限の食器類だけ出して、あとのもらったんは皆押し入れに入れて、持っていく用に箱に入れてなおしてますねん。
(仮設住宅の入居期限)
−この仮設は、いつまで入っていてもいい、ということになってるんですか。
一応噂ですけどね、来年3月までいうふうに聞いてるんですね。でも他からちょっと耳に入ったんですけどね、今あちこち建設してはるところに、仮設の人らみたいな家のないもん優先に入れてくれるって。まあ今はね、入れるような状態やないから、それまで置かせてもらえる言うてはる人もいますしね。まだ正式には、聞いてはしませんけど。まあ、出ていく言うたってねえ、行くとこないんですから。
(仮設の入居資格とコミュニティの構造)
こういう風な仮設住宅の、入居資格の見直しは大きいですね。この前もテレビで見ましたけどね、神戸の方ですけど、年寄りを優先して公団とかに入れてはるでしょ。でも、お年寄りにしてみたらね、あんなところ牢屋に入ってるような気がするんですって。ここでしたらまだね、戸開けたら、顔見えますけどね、あそこはでね、ノイローゼみたいになってる方もいるんですよ。ですから、入居の資格ですけどね、誰がっていうんじゃなく、やっぱり若い人も入れて欲しいですよ。私らは60過ぎてますし、若いいうほどでもないですよ。でも、70じゃないんですよ。
今度2次になったら年寄りを優先するんです。お年寄りをないがしろにしたといって問題になったもんやから、役所の方もお年寄りを優先することにしたんです。そしたらね、向こうの浜の方、枝川言うんですか、私行ったことないんですけど、1000近う仮設住宅があるんですって。そこはもう老人ホームみたいって言うてはりましたわ。
で、向こうからこっちのかかっていた病院へ来はるんですけどね、バスなんかやったら、段を上がったりするので、リューマチの人なんか足が痛いらしいです。それでね、バスでしたらまず阪神バスですか、で、次に阪神電車に乗って、そして阪急今津線に乗るでしょ、3つ乗り換えて来なあかんのです。直通でここまで来るのがないんです。せやからね、階段上がったり降りたりせなあかんでしょ。駅いうても、エレベーターのあるとことないとこがあるからねえ。エレベーターやったら上下いけますけどね、エスカレーターは昇りはあっても下りはないでしょ。そんなんお年寄りの人にしたら、大変らしいですわ。でも、タクシーしたら“往復3000円もかかるのよー”っておっしゃってましたね。
あと、孤独死とかもありますでしょ。やっぱり今度からは、同じ所に住んでた人、顔見知りの人をまとめてね。そしたら、いざとなったら気心知れてるから、助け合うこともでけるんですよ。ここの仮設で、高松町に住んでいたのは、私一人なんですよ。ほかは、皆、枝川町。枝川町いってもね、広いさかいどこにいてはるか知らんて言わはりますわ。1000近うあるからね、もう棟違ったらわかりませんやん。誰それさん、て言うたら、枝川町の人、どこなのか知らんねん。私らはここ40軒でもね、前後ろは分かっても、向こうの人は分からん。
私、線路からこっちへ来たん初めてですねん。ダイエーへ買い物に、1回か2回行ったことがあるだけですねん。せやからここも知らんかってねえ、去年、鍵もらったとき、初めて来たんですよ。だからね、今やったらちょっと、前後ろ両隣と、挨拶程度ですけれど、そんなに深くはしないわ。皆さんそうです。ここらでもね、やっぱり私ら、昔の人間ですので、この頃の若い人らにプライバシーのやいのって、あんなん言われたらかなわんと思ってね、1歩下がって、こうするでしょう。せやからね、お年寄りがゴミでも朝放りに来てはってね、ちょっとしんどそうにしてはったら、“大丈夫ですか”って声かけるとかね、そんなんはしますけどね。そんな時は、“はあ大丈夫です。ありがとうございます”っておっしゃったりしますけどね。どこの部屋の人か、ちょっと向こうのほうには、表札も上がってへんような家も多いからね。
近所付き合いってのは一番大事だと思いますけどね。ここらは、まあ言うたら寄せ集めみたいなものなんで、そういうのがないんですよ。だからね、孤独死言うたらね、たいがい女の人より男の人のが多いでしょう。男の人なんかなじみがないからね。40代ぐらいの人が亡くなってますもん。そんでね、医者から、お酒も飲んだらいかん、何してもいかん、いうて止められてもね、私らやったら食べもん、お酒なんか女の人ほとんど飲みはれへんと思う。せやけど男の人は、気を紛らわすためにヤケ酒。それで余計悪なるねんね。
仮設でもね、ある程度知ってたら、ちょっと覗いて“どうしてる”言うてね、用事無うても“何か作ったから食べない”言うて持ってったりしますもんね、それが今ないでしょ。もう若い人らも、あんまり挨拶してはりゃしません。挨拶するいうのを知らないんです。お年寄りやら子供さんいたら挨拶くらいしますが、ここの裏の方、ある程度年いった中年以上の人達、みな物言えません。ここの端の人なんかも、若いので…。中国の子はちゃんと挨拶しますしね。でも向かい側の一番向こうは、若いけどちゃんと物言えます。せやから人それぞれですね。向いに男の人一人いてはりますけどね、会うたらちゃんと挨拶しはりますしね。でその隣は若夫婦で子供いてるけども、物言わないんです。何か私らやったらね、悪いことして逃げなあかんから物言われへんいうの思うでしょ。悪いことしてへんかったら、朝会ったら“おはようございます”、お昼やったら“こんにちは”、夜やったら“こんばんは”とか言いますわね。それが、人間大事でしょ。小さい子でも、ちゃんと帽子取って挨拶する子もいます。ここでは私が一番年いってます。私は人間が古いさかい、うるさいなーと思われてるかもね。
私、勤めてたのでね、朝、職場でも会うたら“おはよう”とか、帰るときは“お先に”て挨拶して帰りますでしょう。それが、当たり前みたいな、そんなんで育ってるから常識やと思いますけど、せえへん人はしませんわ。うちの母なんかは、“行って来ます。ただいま”とか言わへんかったら、“もうそれが人間の最後のときかもわかれへん。生き別れになるときもある”って。だからね、“行って来ます”、“ただいま”はちゃんと言うもんやって、小さいときから言われてましたもん。“黙って行って黙って帰るいうのは泥棒猫と一緒や”って私ら言われましたわ。やっぱりね、明治の母でしょ、せやから躾は厳しかったですよ。やっぱそんなんで育てられてるもんやからね。
あのね、私らは、ここらは割に挨拶されますからね、いらん話はしないけど、“今日お天気ええですねえ”とか、“お花咲いててきれいですねえ”とか言うてちょっと立ち話したりします。私は、やっぱり勤めてた関係で、外へ出て物を言うのは何ともないんですけどね、やっぱり家の中ばっかりにおる人はそれがでけてないですね。
(行政に望むこと)
私ね、こんだけ仮設が空いてるんだから、一回役所関係の人が泊まりにね、一晩、いや、1週間でも来てくれたらええのになと思ってたんですよ。そんなら、川西の市の職員、市長以下順番に空いた仮設に1週間ずつ泊まって、そっから体験みたいなね。私、えらいなって思ったんですよ。せやから、今回は初めてやから仕方がないけどね、これからは、市の職員にしろ、こういうふうなことに関わる以上はね、机の上だけじゃなくて、体験して欲しいと思う。そうせんと、今は核家族で昔みたいにお年寄りと一緒に住むことがないからね、何が必要か知らないの。自分が健康やから。私ら、戦前両親、看取って家で亡くなったからね、今みたいに入院するなんていうのがなかったから下の世話から何からするのにもう大変でしたよ。けどそういう風にしてるから、お年寄りのこと、ものすごい気になります。
この間、NHKで30代の女性の方がね、お年寄りを体験するのに、足にこんなんぶら下げて、階段を降りたり上がったり、自動販売機にお金入れるのに手袋何枚もしたりして、入れへんのを体験してはったんです。ああいう風なんね、やっぱり体験せないかんと思います。ほしたらね、いろんな人がわかるんです。身障者の人とかお年寄りが一緒におる家庭の人は、よう分かってはるねん。役所の人でもそれが少ないでしょ。だから、上に立つ人がそういうところを勉強して欲しいな、と思いましたね。
(仮設住宅でくらして)
仮設での暮らしは、一人暮らしには辛いですけどね。でもね、女はね、私らも友達多いですから、仕事辞めても年に1回か2回か旅行行ったりもしますし、月に1回は会うてたりしますしね。でも男性の場合はね、会社だけの付き合いの人が多くて、辞めたらつながりがないでしょう。せやからね、女いうたらお稽古ごとでもできますけど、男の人はね。だから今、男の人で、一人になったときに困るからいうてお料理してはるやん。
それと、店屋物ばっかりって飽きますでしょう。せやからね、“外ばっかり食べたらあかん。顔色悪い、ちゃんと食べてるか”言いますねん。
皆友達がね、“電話しても通じないし、一人で死んでるのか”いうて心配してね。それで、半年目ぐらいに、気晴らしに旅行行こうと言うて、山梨のほうに行きましてん。“ちょっともう、気晴らしに行かへんかったら息詰まりそう。いっぺん大きい風呂に入りたいわ”言うてね。全部で3回ほど行きましたね。んなら去年は、ちょっとましになりました。
あと、毎日のように兄弟が心配して、“どうしてる、変わりない”いうて電話してきます。ほんでね、姪の子供がね、大学生で京都のほうに行ってますけど、帰りに寄ってくれたりしますねん。で、来年になったらね、神戸におる姉一家がね、門戸のほうに来年建つマンションへ来ますねん。子供が足骨折して、中央病院に入院してたから、“リハビリが神戸からやったらちょっと大変やから、近くに申し込んだら当たったから”言うて。せやからね、甥に、“もうついでに私も頼もうかな。お母さんとお父さんだけちゃうよ、おばちゃんも足してや”冗談兼ねて言うてね。そしたら笑てますねん。私が兄弟で一番下でしたからね。兄弟言っても皆もう年寄りですからね。いざ兄弟が病気したりしたら、身軽いもんやからつい使われますのん。せやから、“私が体悪なったときは、皆看てくれるか”、冗談兼ねて言うて。まあ、私は兄弟がいてるから、まだ不幸中の幸いやな思ってます。もっと年いった身寄りのない方いっぱいいてはるからねえ。
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