仮設住宅のくらし

仮設住宅は2度目に当たりまして、名塩のほうに行きました。息子の車で芦屋に置いてある荷物を2〜3回運びました。その車も普通の乗用車じゃダメでしょう。ワゴンを買いまして、それで運んでくれました。ここ(高松町の自宅)は空き地でしたから、ここにも荷物を置きましたが、だいぶんとられましたよ。家財も盗られましたが、こんなハシゴやね電球のあれなんか盗られましたよ。あらかた良さそうな物はありやしません。長いホウキのような、まだ2〜3べんしか使ってないような、そんな悪いようなのとったってね。だけども誰が持っていったか分からんし、もうかましませんわと思ってね。お互いいるんやろうからと思いましてね。

名塩の仮設に2日か3日泊まりましたわ。私が一番初めで5月か4月、あそこ行って下さい言われたからハイ言うて荷物持って行ったんですよ。けど、私1人やった。10軒長屋にほんま1人でした。私の筋には1軒。それと筋向かいの方にはご夫婦の方がいらっしゃいました。それから私の列から100軒もっとあったでしょうか。東口におの腹の大きな奥さんとご主人と2人で住んでおられました。その3組だけは知っていたんです。後、いらっしゃったんでしょうけど、ちょっと遠くやったら分からんのです。ほんで息子が「こんなとこにおったらあかんで帰れ」言うて、また息子のところに帰りました。不用心だし、やっぱ私1人でしょう。だから心配になるんですよ。電話もありませんし、電話も引くつもりもありゃしませんでした。電話機はあるんですよ、でも引く気ないしね。クーラーも他の人はつけたけど、私はつけなかった。もうじき家が建つし、息子のところにおるつもりでしたし。たまに日曜日にまた息子と車にのっていって、窓開けたり、お掃除したり、整理したりしてまして3日泊まりましたよ。でも山の上にあがるに私が車引いて半時間かかりますんですよ。息子と車で行ってもね、芦屋から1時間かかりましたよ。だから仮設には荷物だけ置いて、物置にさせていただきました。息子のところに置けんことはなかったんですけどね。

嫁はね、子供たち2人とすぐニュージーランドに行きましたね。お互いにいい機会やからね。嫁かて私がおらなんだら旅行が出来しませんからね。3カ月という予定で行きましたんですけど、なんか向こうでだまされたとか言うて、3週間でちょっと帰ってきましたけど。それから私がおらんと色々ここらへんの家のこととか、娘のお金のことやとか色々不便やからね。電話やらしてたら電話料もかかるしねえ。それで私が孫2人と息子の世話をしました。お互いによろしかったようで。

仮設住宅はなんかね、ちょっとでもさわったら壁がカンカンってブリキみたいな音がするんですよ。ちょっと上向くと隙間が空いてますでしょう。そうゆうとこから何か出てこうへんやろかと思ってね。それから、炊事場があってその向こうがお風呂場になっているんですけどね、そこに段差があるんです。それが老人向けじゃないですね。私の家は全然段差がないですからね、あぶないですよ。ほいで炊事場から部屋に入るんでもちょっと段差があって。おばあちゃんあぶないゆうて。

それに棚がありますけど、上の方にあってね。椅子かなにか持って行って出さにゃあいけませんよ。だから一度も使ってませんよ。もうちょっと下で持つとこでも引くとこでもあればねえ。そんなんない。どうゆうつもりで、誰の考えでやったのかねえ。玄関上がるんでもね、1つブロックおいて、のってじゃないとのられません。洗濯用のブロックでしょうか。ちゃんと2つか3つおいてありましたからね、私はそれにのって上がりました。裏にもおいてますんですよ。じゃないと、裏に出ようと思ったらドスンっておりにゃあ、高いんですもの。あの設計はおかしいですわ。夏の間はやっぱ暑いねえ。私は暑い時にゃあ、網戸を開けてね。夜景はきれいですよ。上の方やからね。

でも私らでも出る時はね、だいぶ入ってはりました。9月の19日にきたんかな。私の隣と隣が2つ位あいていいるぐらいでね。みんな入ってはったから。もうねえ、あの時はね、抽選はなしで入りたい人は入って下さい、言われたんですって。3期ですかね。

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Y・Rさん(77)
・家族数・特性 :
   3人(女性だけの3世代世帯)
・住居形態(被害の程度):
   木造2階建て・築60年
・住居以外の被災状況:
   対象者の娘が死亡

(仮設住宅への引っ越し)

夫)で、解体のことでかなんかで、市役所に行ったら、(仮設住宅の当選者に)自分の番号あんねん。「あ、当たってるわー」ゆうて。で、おかんにゆうたら、

妻)「間違えてんのちゃうの」ゆうて。

夫)「あほー、自分とこ番号あったわー。明日、事業会館に貼るから見い」ゆうて、ほいで事業会館へ貼ってくれて見たらほんまにあんねん。「うーわ、当たったー」ゆうて。そら近くに当たって嬉しかったよ。(店まで)2分ほどで歩いて行ける。「会長がようしてくれたからごほうびにくれたんやわ」ゆうてね。

妻)だから、ぜいたくゆうたらあかんなゆうてね。ましてや一次で当たるとはねえ。「私ら2人やから絶対最後でしょうね」ってゆってたんですけどね。

妻)避難場所では、着のみ着のままですからね、お父さんが引っ張り出したこたつの布団をいつもきてたんですよ。ほんで、こっちの家に持って帰る時、手伝いにきてくれた友達が、「Nさん、この布団ほかしーっ(捨てなさい)」て。「どうしたん」言うて、「こじきの臭いがする」ゆわれたときはショックでしたね。悪気じゃないですよ。「やめてやめて、それ、干さんでいいわ」って感じやね。普通の人が見たかんじのお布団を私は、干そう思って干しよったんや。こじきの臭いがするゆわれたときはね、その時改めて避難生活のね、あれ・・・うん、「ああそうかー」って思ったねえ。それに私ら毎日寝てたんですもんね。

夫)で、引越屋に頼んだら全部もってってくれるゆうけど、お金がいるからねえ、「家でぼつぼつしよー」ゆうて。結局友達が、「今日、はよしもたから、冷蔵庫運ぼか」ゆうて。テレビとこれと、あと、ちょっとしたもん運ぼかな思ってるけど、冷蔵庫なんか一人では運ばれへんからね。まあ、テレビも運びたいけど・・・、家に14型のちいこいのあるだけで、べつに強いて無かってもええしね。せやけど、ここ(仮設)もはよ引き渡さな、次入る人おるんちゃうかなあ思ってみたりね。

夫)まあ、ここ(仮設)は鍵もろたら、すぐはいれるんですけどね。持ってきたのはほとんど衣類だけ。

妻)出せるもの出したらええゆうて、衣類だけ出してるから。

夫)「洋服ダンス、和ダンス、つぶすからいらん」ゆうから、戻ってきてここ置いてたんですね。ここで買ったのは、ベッドくらいかなあ。

妻)ベッドがなかったらねえ、ゴールデンウィークとか、夏とか冬とかこども帰ってくると寝るとこないでしょ。

夫)正月に、娘とおかんここで寝て、僕はこたつで寝てた。途中さぶなってきて、押入から布団とってきて、こたつの下へしいて、そいでやっと寝たけどね。風邪ひいてもうた。

(仮設住宅の構造)

妻)仮設は寒いですよー。もね、夏と冬はすっごくはっきりしてますわ。夏なんか、今んなったら笑い話やけど、屋根で目玉焼できるんちゃうゆうてね。それぐらいの暑さです。冬はもう今でもこれ、隙間だらけやから、みなタタミの下に新聞積めてますよ。ほいでねえ、ここなんかでも、隣の話丸ぎこえなんですよ。

夫)で、「冬、こたつだけやったら寒いから、畳の上にカーペットでも敷いたらええやろ」ゆうて、友達がもってきてくれてね。

妻)1回ねえ、雨が降ったときに、そこの床がぐちゃぐちゃになったときがあったんですよ。それで、建てた人が来たときにゆうたのよね。まあ、屋根修理したからようなったね。

夫)ほで、サッシつけるから、外してくれゆわれて、外してね。あと、洗濯するのにぬれるから、もうちょっと追い足して。ふきぶり(吹きさらし)かなわんからゆうて、雨かからんように向こうちょっと出してね。ちょっとでも使いやすいように、いろんなことしたやんな。そで、仮設、棚つったらあかん、釘うったらあかんゆわれてるけど、そんな棚つったらあかんゆうてもねえ。こんなん、備蓄するゆうたかて、おそらくこういう金属類とかは備蓄できるけど、木やらあんなんは、無理、使われへんわ。

妻)よその仮設いったらこんなんちゃいますよ。ちゃんとふすまらしきものもあるの。ここはなんかほんまに粗末やね。

夫)いやいろいろね。いろいろあるもん。一番最初やから、ほんま備蓄してあった、やつで作ってる思うわ。まあ、何年か住まんならんから思って、使いやすいように棚もつけてもらったしね。それから、このクーラーとカーペット。これが入ったから助かったんや。夏はほんまに、昼間食事に帰ってきたらムロ(蒸し風呂)やで。

妻)これかてね(網戸みたいな仕切が台所の入口にある)、解体するおうちのサッシを拾ってきてつけてね。締め切ったら暑いから、開けとくんですよ。

夫)そこのちいこい小窓かってね、風入れたほうがええやろうゆうてね、開けとくねん。ほいで、これ(窓)は開けてもこれ(ブラインド)は開かないように止めてね。

妻)蝦がはいるから網戸つけてね。開けっぱなしで。

(仮設住宅団地の環境)

−仮設は、孤独死とかいろいろありますが

妻)ここはね、最初は5・6軒だけやったけど、今は18軒でしょ。で、顔見知りも多いですけどね、お花つくったらお花あげるとか、きゅうりつくったからきゅうりあげるとかね、みんなわきあいあいよね。

夫)数が少ないからちがうかなあ。鳴尾の浜とか行ったら100戸とか200戸とかあるから、結局、まとまれへんのちゃうかな。

妻)でもここの仮設はちいさいから、年末とかそういうのは、いろいろな行事が一切外されて、ないんですよ。

−ボランティア来たりとかは?

妻)最初だけ、お花頂いたけどね。よく新聞に(でているような)、どこどこがなんのっていうそういうのはなかったですね。まあ、大小どっちがいいかといわれれば、どーうやろねえ。やっぱりこじんまりしてる方がいいんでしょうね。

夫)せやけどうまいこと敷地があらへんわねえ。まだ西宮なんかええほうやゆうて、芦屋なんかあらへんゆうて、未だに学校の(避難所に)ねえ。言葉あれですけど、(学校に通っている)子供もかわいそうに。

(仮設におけるコミュニケーション)

夫)(震災前に)血統書つきの柴犬かっててね。でも、避難所おるから、犬なんかつれていかれへんからね。で、かわいそうやから、一日1回えさやりに行って、自分らの食べるのんおいといたんやけどね。いつのまにかくさりはずして、おらんなってね。

妻)烏骨鶏も飼ってたんですよ。あの、中国の天然記念物ゆうてね、真っ白の羽根の。屋内じゃ飼育できないゆうてね、いただいたんですよ。(震災で)小屋がやぶけてとびだしてたけどね。飛べないし、お水やりのお水もないから逃がしてね。

夫)5つ卵だかして、3匹、かえったんかな。3匹ともオスやってん。そやけど途中でおんなじ檻の中いれとったら喧嘩してねえ。結局、1匹しかのこらんかったんかなあ。九官鳥は、明石から妹にとりにきてもろてね。

妻)仮設でもお水あるときはもってってやってましたしねえ。

夫)(仮設には)めだかもおったしね。近所のおばあちゃんが鈴虫かいだしたり、めだか飼いだしたりして、話するようになったね。

妻)震災の時の鈴虫がね(震災時に卵で越冬していた)、孵えったんですよ。あれ、お水やらんとだめなんですよね。で、箱を外にだしてたからね、雨が降って水浸しになって、ほで水ほかしておいとって。絶対こんなんかえらないおもてたらね、かえったんですよ。で、うれしくて近所にみんなやってね。あないして生きてるのはあれだけやね。震災の生き残り。もう今は卵になってるけどね。

夫)そんなんで、横のつながりできたんちゃうかないうて。赤いめだか増やしてはたまごみて教えてもろてね、おばあさんらにやったらよろこんで、飼い始めてね。そやからそんなんで、話するようになったりね。

夫)結局、めだかなんか簡単に飼えるから、こんなんを配ったら、おばあさんに生きがいができるんちゃうかなゆうてね。鈴虫でも、「死んだらあとどないしたらいいの」ゆうて聞いてくるしね。ぼくも高校生におしえた。めだかもどないして子ふやすのてきいてきたら、「ここたまごやから、おんなしとこおいとったらあかんから」ゆうて。あのひとなんかも毎日一緒けんめいやって、あれも一つの生きがいちゃうかなおもうわ。楽しみ・・・ねえ。で、卵かえったら、「ぎょうさんかえってそんなどないすんねん」て、冗談でゆうたりしてた。

妻)となりのとなりのAさんいうおばあさんはね、お花くれたりね。ほんまにわたしら地震のおかげゆうか、避難所の時も恵まれてたし、仮設に来てもめぐまれてたからあんまり欲はいわない。

夫)孤独死ゆうてるとこ。なんかのきっかけで自分から接して行ったほうがええんちゃうかなあ。それでも中には、物いえんひともおるしなあ。あんまり中はいりこんでもいややし。ぼくらこんなやから、ぱっぱっというからねえ。

妻)みんなが一緒の立場やから閉じ込もってもしゃあないもんねえ。そらみんなつらいんやけど一人だけやないんやしねえ。

(再開発)

妻)ここは、市の用地やから、再開発で空けるんかもわからんねえ。もう、前もあいてるんですよ。

夫)裏も。市の女の子に「裏空いてるやろー。別にせけへん(急がん)やろー」ゆうたら、「いや、鍵渡して、入院したりしてるひとあるから、入れへんの違いまっか」ゆうて。「けど12月なったら忙しいからうち、引渡しいつになるかわからへんで。来年春なるかわからへんで」ゆうたら、「それで結構ですよ」ゆうてましたけどね。おそらくここも、開発して、はよ明け渡したい思うわ。

妻)ここも市営住宅の跡地やもんねえ。

夫)で一番最初に建ったから、備蓄してた材料ちゃうかなあ思うわ。

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H・Hさん(57) (奥さんも同席)
・ 家族数・特性 :
   2人(米穀商、避難所リーダー、仮設住宅)
・ 住居形態(被害の程度):木造平屋(借地持ち家)・築30年(全壊)
・ 住居以外の被災状況:
   店舗の被害は一部損壊

(仮設住宅へ)

 私ら年金生活やからね、住所もここ(高木東町の仮設住宅)へ移したんです。移さんようにも思ったんですが、年金の手続上、“行ったところにしてもらわんと困る”って言われたからね、役所に言うてここの番地で届けてね。また今度引っ越ししたら、また手続きせんならんけどね。

 私ら退職してるでしょ。退職者の組合が、会費納めてますからね、“社宅に空いてるとこあるから、もし入るところなかったら、しばらく入ってもいいようにお世話さしてもらいます”いうような通知がありましたけどね。ちょうど仮設住宅に当たった後やったから、お断りしたんですけどね。やっぱり大きいところ入ってたら、組合の力というんですか、心強いですねえ。

(仮設住宅の建物)

−部屋を拝見しましたけれども、目張りをなさったりずいぶん工夫されてますね。

 ええ、これは目張りが下まではなかったもんで、私が買うてきてしたんですよ。ここ田んぼか畑の跡でしたから、隙間からダンゴ虫みたいなんが出てくるんですよ。私、虫嫌いですねん。それから、配管の穴からねずみが出てきたりしますよ。それも一人前の野ねずみですねん。ゴキブリホイホイ言いますの、あのゴキブリの鳥餅みたいなの、あれに入ってるんですよ。朝何がチュウチュウ言うてるんかな思ってそれ見てみたら、ぽっと顔出したからね。もうびっくりしましたわ。それからずっと置いてますねん。後はもう、出て来てやしませんけど。私神経質なほうやからね、もう気持ち悪くて。

−隣の部屋歩くとき、そろそろというんですか、そう見えたんですが、どこか建て付けに問題が?

 そうですねん。夏に、床の釘が全部抜けましたん。前からギシギシいうてたんで、夜中なんか隣に気兼ねして歩かれしませんでしたん。それで見てもろうたら、床の釘が全部抜けてたんです。なおしてもろうたけど、今でも波打っているし、まだギシギシいうでしょう。(その他、押入がないこと、ユニットバスに段差があり、つまずきやすいこと、靴脱ぎ場と台所の床が同じ床面なので、結局履き物は外のブロックに脱がなくてはならなくなるなどの欠点を指摘された。)

(仮設住宅の住空間)

 部屋狭いですからね。4畳半でもね、普通の4畳半と違って団地サイズの4畳半でしょ。だから、本当はこの冷蔵庫かって大きいの欲しいですよ。だけど、ここに入る大きさのがなかったんですよね。もっと大きいのはたくさんあってもね、小さいのに皆がいくから、私は大阪から取り寄せてもらったんです。とにかくここらの商店街にもね、皆なくなったでしょ。ダイエーかって、品物ほとんどなかったんですよ。あと買うとこいうたら、京都からこんなん持って来られへんしね。自動車が1年ぐらい規制されてましたでしょ、せやから、京都から1回で自動車で運べるもんでもね、“もういいわ”いうて断ってね。忌中以外の人は交通整理でストップされていて、こんなステッカー貼った車だけしか入れませんでしたからねえ。

(仮設住宅の住環境)

この雨よけのひさし、あれは半年過ぎたころついたんですね。多分、雨が降り込んで、どっかから文句が出たんでしょうね。中入ってから、あわてて傘すぼめるというような感じでしたからねえ。ここは田んぼで田舎みたいやから、台風でないときでも雨風のきついときはすごく大変なんですよ。

今はこの道、真ん中だけアスファルトで舗装してますけど、前は砂と砂利で、ものすごい埃がしてましてん。それで、去年の暮れぐらいやったかな、真ん中だけでもとにかくしてもらったらね、歩きやすうなりました。そうでないと、もう靴が傷んでねえ。それで、今年の春、2月か3月でしたかねえ、裏の雨のひさしもつけて下さってね。

あの、仮設って同じ建物やと思ってたら、業者によって違うらしいですね。ここ東(高木東)でしょ。学校の裏のとこにある高木西は、ドアがこれとちごて、隣同士が開きドアですねん。ここは引き戸ですから、半分だけ炊事場でしょ。お隣とは、ちょうど炊事場同士が背中合わせになってますからね。雨が降ったらひさしのところにね、お隣のものをちょっと置かせてあげたりしてるんですよ。“ちょっとうちに出入りするので邪魔になれへんか”いうから、“いいから置きなさい”いうてね。そうせんと、もろてきたもんが雨ざらしになってたりね。

ここへ来てから、気管(気管支)が弱なったね。道にもう埃をばーっとちらしながら、いろんな廃棄物を取りに大きなダンプカーが通ってましたでしょ。もう半年ぐらいは、買い物に行くときにマスクはめて通ってましたよ。大きな採石かなんか取るような大きな、こんな大きな車でねえ。普通の工事とか家の建築とか、私らよう見るようなダンプと全然違うの。見た事ない大きな、車の輪だけでもすごい大きな、2階建みたいな大きいトラックが行ってましたよ。網走のナンバーとかついてましたから、あちこちから来てましてんわ。ほなね、雨が降らへんもんやから、こぼしていくでしょ、その埃がこんなして舞うてますねん。ニュースでも出てましたやろ、マスクはめてね。目には埃するし、マスクはめても鼻真っ黒けになって、そんなんでしまいに気管悪なってね。せやからね、外なんか拭いても拭いても砂がもういっぱいで真っ白け。アスファルトと違いますからね。

(仮設住宅のロケーション)

ここは、場所がよろしいですからね、通勤の方が多いです。せやからね、横の道ずーっと(路上駐車の)自動車でいっぱいですわ。

仮設は、そんなどこでも建てたらええんじゃなくて、やっぱり場所。いろんな方、体壊してるとか年寄りとか、いろいろいらっしゃるでしょう。去年だったか、ご近所の方で名塩の方の仮設に当たった方がいてね、ぱたっと会うたんですよ。で、「向こう行ってらっしゃるんですか」って聞いたら、なんのなんの。駅降りたら、銀行が一つあるだで、買い物するにも何にもないところなんですって。年寄りにそんなとこ住めいうて、私びっくりしましてん。せやからね、“よう住まんで。ちょっと恐いけど、家に戻って来た。あんな恐いところ(名塩の仮設住宅)おられへん”言いうてはりました。何かね、建ってるのが駅から距離も結構あるらしくて、変なところらしいですわ。若い方や車持ってる方ならいいです。でもやっぱりね、お年寄りには、自転車も乗られへんような方がいますからね。誰でも行ったらいいわけじゃないですからね。適材適所いうのか、その人に合うたところに入れたらと思いますねえ。

(仮設住宅のコミュニティ)

ここはね、やっぱりいろんな方が住んでらっしゃるから、1軒だけがきれいにしててもあきません。皆がちゃんとせんとね。食べるもんがあるからネズミなんかが出てくるんやと思います。

あそこの家、入り口のところに犬がいてるんですよ。自分はマンションへ行って、そこには荷物だけ置いて、住んではりゃしません。マンションへは犬持って行かれへんからね、つなぎっぱなし。せやからその後ね、犬の糞とかがあって、なんぼ仮設でも向かいのマンションの人に見苦しいでしょ。玄関向き合ってますからね。何やされるのいややからね、私ら草でも自分とこの前は、手いれしてますけどね。

隣は中国からの留学生が3人。ほんとは1人だったんですけど、他の留学生の方も住むとこないから便乗して。もう出て行かれるみたいですけどね。で、やっぱり男ばっかり3人でしょう。きれいなん、いろいろもろてきたのも、もう雨ざらしになって汚い。埃だらけになって、もう放ってもええようになって。“自分1人になったら家の中入れるから”っておっしゃってたんですけどね。ちゃんとせえへんかったら、すぐに使えやしません。

ここに入って1週間目ぐらいに、大丈夫かどうか役員さんが見に来はりました。とにかく何にもないんですからね、「うわ、大変やったねえー」いわれるから、「私、服を取りだすのに一生懸命やったから」いうてね。食器は、薄いのや上等なのが割れて、どうでもいいのが残ってるんですよ。いまは、最小限の食器類だけ出して、あとのもらったんは皆押し入れに入れて、持っていく用に箱に入れてなおしてますねん。

(仮設住宅の入居期限)

−この仮設は、いつまで入っていてもいい、ということになってるんですか。

一応噂ですけどね、来年3月までいうふうに聞いてるんですね。でも他からちょっと耳に入ったんですけどね、今あちこち建設してはるところに、仮設の人らみたいな家のないもん優先に入れてくれるって。まあ今はね、入れるような状態やないから、それまで置かせてもらえる言うてはる人もいますしね。まだ正式には、聞いてはしませんけど。まあ、出ていく言うたってねえ、行くとこないんですから。

(仮設の入居資格とコミュニティの構造)

こういう風な仮設住宅の、入居資格の見直しは大きいですね。この前もテレビで見ましたけどね、神戸の方ですけど、年寄りを優先して公団とかに入れてはるでしょ。でも、お年寄りにしてみたらね、あんなところ牢屋に入ってるような気がするんですって。ここでしたらまだね、戸開けたら、顔見えますけどね、あそこはでね、ノイローゼみたいになってる方もいるんですよ。ですから、入居の資格ですけどね、誰がっていうんじゃなく、やっぱり若い人も入れて欲しいですよ。私らは60過ぎてますし、若いいうほどでもないですよ。でも、70じゃないんですよ。

今度2次になったら年寄りを優先するんです。お年寄りをないがしろにしたといって問題になったもんやから、役所の方もお年寄りを優先することにしたんです。そしたらね、向こうの浜の方、枝川言うんですか、私行ったことないんですけど、1000近う仮設住宅があるんですって。そこはもう老人ホームみたいって言うてはりましたわ。

で、向こうからこっちのかかっていた病院へ来はるんですけどね、バスなんかやったら、段を上がったりするので、リューマチの人なんか足が痛いらしいです。それでね、バスでしたらまず阪神バスですか、で、次に阪神電車に乗って、そして阪急今津線に乗るでしょ、3つ乗り換えて来なあかんのです。直通でここまで来るのがないんです。せやからね、階段上がったり降りたりせなあかんでしょ。駅いうても、エレベーターのあるとことないとこがあるからねえ。エレベーターやったら上下いけますけどね、エスカレーターは昇りはあっても下りはないでしょ。そんなんお年寄りの人にしたら、大変らしいですわ。でも、タクシーしたら“往復3000円もかかるのよー”っておっしゃってましたね。

あと、孤独死とかもありますでしょ。やっぱり今度からは、同じ所に住んでた人、顔見知りの人をまとめてね。そしたら、いざとなったら気心知れてるから、助け合うこともでけるんですよ。ここの仮設で、高松町に住んでいたのは、私一人なんですよ。ほかは、皆、枝川町。枝川町いってもね、広いさかいどこにいてはるか知らんて言わはりますわ。1000近うあるからね、もう棟違ったらわかりませんやん。誰それさん、て言うたら、枝川町の人、どこなのか知らんねん。私らはここ40軒でもね、前後ろは分かっても、向こうの人は分からん。

私、線路からこっちへ来たん初めてですねん。ダイエーへ買い物に、1回か2回行ったことがあるだけですねん。せやからここも知らんかってねえ、去年、鍵もらったとき、初めて来たんですよ。だからね、今やったらちょっと、前後ろ両隣と、挨拶程度ですけれど、そんなに深くはしないわ。皆さんそうです。ここらでもね、やっぱり私ら、昔の人間ですので、この頃の若い人らにプライバシーのやいのって、あんなん言われたらかなわんと思ってね、1歩下がって、こうするでしょう。せやからね、お年寄りがゴミでも朝放りに来てはってね、ちょっとしんどそうにしてはったら、“大丈夫ですか”って声かけるとかね、そんなんはしますけどね。そんな時は、“はあ大丈夫です。ありがとうございます”っておっしゃったりしますけどね。どこの部屋の人か、ちょっと向こうのほうには、表札も上がってへんような家も多いからね。

近所付き合いってのは一番大事だと思いますけどね。ここらは、まあ言うたら寄せ集めみたいなものなんで、そういうのがないんですよ。だからね、孤独死言うたらね、たいがい女の人より男の人のが多いでしょう。男の人なんかなじみがないからね。40代ぐらいの人が亡くなってますもん。そんでね、医者から、お酒も飲んだらいかん、何してもいかん、いうて止められてもね、私らやったら食べもん、お酒なんか女の人ほとんど飲みはれへんと思う。せやけど男の人は、気を紛らわすためにヤケ酒。それで余計悪なるねんね。

仮設でもね、ある程度知ってたら、ちょっと覗いて“どうしてる”言うてね、用事無うても“何か作ったから食べない”言うて持ってったりしますもんね、それが今ないでしょ。もう若い人らも、あんまり挨拶してはりゃしません。挨拶するいうのを知らないんです。お年寄りやら子供さんいたら挨拶くらいしますが、ここの裏の方、ある程度年いった中年以上の人達、みな物言えません。ここの端の人なんかも、若いので…。中国の子はちゃんと挨拶しますしね。でも向かい側の一番向こうは、若いけどちゃんと物言えます。せやから人それぞれですね。向いに男の人一人いてはりますけどね、会うたらちゃんと挨拶しはりますしね。でその隣は若夫婦で子供いてるけども、物言わないんです。何か私らやったらね、悪いことして逃げなあかんから物言われへんいうの思うでしょ。悪いことしてへんかったら、朝会ったら“おはようございます”、お昼やったら“こんにちは”、夜やったら“こんばんは”とか言いますわね。それが、人間大事でしょ。小さい子でも、ちゃんと帽子取って挨拶する子もいます。ここでは私が一番年いってます。私は人間が古いさかい、うるさいなーと思われてるかもね。

私、勤めてたのでね、朝、職場でも会うたら“おはよう”とか、帰るときは“お先に”て挨拶して帰りますでしょう。それが、当たり前みたいな、そんなんで育ってるから常識やと思いますけど、せえへん人はしませんわ。うちの母なんかは、“行って来ます。ただいま”とか言わへんかったら、“もうそれが人間の最後のときかもわかれへん。生き別れになるときもある”って。だからね、“行って来ます”、“ただいま”はちゃんと言うもんやって、小さいときから言われてましたもん。“黙って行って黙って帰るいうのは泥棒猫と一緒や”って私ら言われましたわ。やっぱりね、明治の母でしょ、せやから躾は厳しかったですよ。やっぱそんなんで育てられてるもんやからね。

あのね、私らは、ここらは割に挨拶されますからね、いらん話はしないけど、“今日お天気ええですねえ”とか、“お花咲いててきれいですねえ”とか言うてちょっと立ち話したりします。私は、やっぱり勤めてた関係で、外へ出て物を言うのは何ともないんですけどね、やっぱり家の中ばっかりにおる人はそれがでけてないですね。

(行政に望むこと)

 私ね、こんだけ仮設が空いてるんだから、一回役所関係の人が泊まりにね、一晩、いや、1週間でも来てくれたらええのになと思ってたんですよ。そんなら、川西の市の職員、市長以下順番に空いた仮設に1週間ずつ泊まって、そっから体験みたいなね。私、えらいなって思ったんですよ。せやから、今回は初めてやから仕方がないけどね、これからは、市の職員にしろ、こういうふうなことに関わる以上はね、机の上だけじゃなくて、体験して欲しいと思う。そうせんと、今は核家族で昔みたいにお年寄りと一緒に住むことがないからね、何が必要か知らないの。自分が健康やから。私ら、戦前両親、看取って家で亡くなったからね、今みたいに入院するなんていうのがなかったから下の世話から何からするのにもう大変でしたよ。けどそういう風にしてるから、お年寄りのこと、ものすごい気になります。

 この間、NHKで30代の女性の方がね、お年寄りを体験するのに、足にこんなんぶら下げて、階段を降りたり上がったり、自動販売機にお金入れるのに手袋何枚もしたりして、入れへんのを体験してはったんです。ああいう風なんね、やっぱり体験せないかんと思います。ほしたらね、いろんな人がわかるんです。身障者の人とかお年寄りが一緒におる家庭の人は、よう分かってはるねん。役所の人でもそれが少ないでしょ。だから、上に立つ人がそういうところを勉強して欲しいな、と思いましたね。

(仮設住宅でくらして)

 仮設での暮らしは、一人暮らしには辛いですけどね。でもね、女はね、私らも友達多いですから、仕事辞めても年に1回か2回か旅行行ったりもしますし、月に1回は会うてたりしますしね。でも男性の場合はね、会社だけの付き合いの人が多くて、辞めたらつながりがないでしょう。せやからね、女いうたらお稽古ごとでもできますけど、男の人はね。だから今、男の人で、一人になったときに困るからいうてお料理してはるやん。

それと、店屋物ばっかりって飽きますでしょう。せやからね、“外ばっかり食べたらあかん。顔色悪い、ちゃんと食べてるか”言いますねん。

 皆友達がね、“電話しても通じないし、一人で死んでるのか”いうて心配してね。それで、半年目ぐらいに、気晴らしに旅行行こうと言うて、山梨のほうに行きましてん。“ちょっともう、気晴らしに行かへんかったら息詰まりそう。いっぺん大きい風呂に入りたいわ”言うてね。全部で3回ほど行きましたね。んなら去年は、ちょっとましになりました。

 あと、毎日のように兄弟が心配して、“どうしてる、変わりない”いうて電話してきます。ほんでね、姪の子供がね、大学生で京都のほうに行ってますけど、帰りに寄ってくれたりしますねん。で、来年になったらね、神戸におる姉一家がね、門戸のほうに来年建つマンションへ来ますねん。子供が足骨折して、中央病院に入院してたから、“リハビリが神戸からやったらちょっと大変やから、近くに申し込んだら当たったから”言うて。せやからね、甥に、“もうついでに私も頼もうかな。お母さんとお父さんだけちゃうよ、おばちゃんも足してや”冗談兼ねて言うてね。そしたら笑てますねん。私が兄弟で一番下でしたからね。兄弟言っても皆もう年寄りですからね。いざ兄弟が病気したりしたら、身軽いもんやからつい使われますのん。せやから、“私が体悪なったときは、皆看てくれるか”、冗談兼ねて言うて。まあ、私は兄弟がいてるから、まだ不幸中の幸いやな思ってます。もっと年いった身寄りのない方いっぱいいてはるからねえ。

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Hi・Hさん(64)
・家族数・特性 :
  1人(女性の単身世帯、現在仮設住宅)
・ 住居形態(被害の程度):
   木造2階(4戸1の借家)・築?年(全壊)

仮設に入ったのは、1期目の抽選に当たったから2月の末ぐらいかな。まあ、1番下がまだ3才になってなかったからいうのもあるんやろうけどね。仮設に移ったときには、水はもう出てたんちがうかな。もう水・ガス・電気はできた状態でこっち入ってきたからね。

で、仮設は雨がすぐ降り込んで、前なんかで靴脱いだら、もってはいらなあかんようなかんじでね。これはもうあかん、(雨樋が)絶対なかったらあかんわいうかんじで、ここ(仮設)きた時点ですぐに、雨樋をこちらの方と両方、主人が自分で作りましたね。

−仮設はよく釘をうったらいかんとか言われますけど、こうゆうのを作る時には何も言われなかったんですか?

いや、別に何も言われなかったです。ここは、うちだけじゃなくて、ほかのお宅でもやられた方がけっこういてはるかな。最初に入ってきた人はけっこう自分で付けてね。で、あとから市の方がね、雨樋のついてないとこは全部だーっと(付けました)ね。

−仮設にお暮らしになって、仮設の問題点はどこだと思いますか。

まあいうたら、横の音がよう聞こえるいうかね。でも私とこは子どもが小さくてうるさいから、かえって横の人とかねえ、けっこううるさかったやろなとか思ったり、そういう面がやっぱりね。それから夏場はクーラーを入れないといられないし、冬はすきま風がすごくて寒いですからね。それから床がミシミシいうのはね、けっこう当初からいいますね。あと、天井がポコッとはずれてね、あれしたりとか。こないだ1ヶ月ほど前に見回りにきはって、天井のほうはね、ある程度して釘打ってくれはったけどね。あと、そうやね、まあ贅沢いうとったらあかんねやろけど、もうちょっと広さがね。なんとか1人住まいの人とこうでけへんかったんかなと思ったりして。

−この仮設はけっこう隣近所の交流はあるんですか。

 隣は越してきて間もない方なんですけどね。前に住んでらした方は、1人暮らしの人でしたけど、けっこう朝、明るくようしゃべってくれはったね。子供にもけっこう、よく声かけてくれはったしね。

 まあ、ここの仮設は場所がいいですからね、(整理されずに)最後の最後まで残るんちがうかな。空いたと思ったらまた次入ってはるからね。なかには、倉庫がわりに使ってるとか、いてはりますよ。家賃もいらんねんから倉庫がわりにちょうどいいわね。

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I・Tさん(37)
・ 家族数・特性:
   5人(夫婦と子供3人)
・ 住居形態(被害の程度):
   棟割り分譲住宅・築20年(全壊)