(場所の確保)
夫)(避難所へ)行ったからいったって,なんも無いわけでしょ.広い所ですから,寒いわけですね.で,すぐ,体育のマットがありましたのでマットを2枚ね,ひかしてもらって.畳2枚ぐらいの広さになりましたよ.
次女)まだあまり誰も来てなかったから.
妻)あの時はまだ,ガラガラで場所は埋まってませんけど,マットは2枚しかなかったです.
夫)埋まるたってマット30枚位ですよ.だからしれてるわけですよ.だけどあれは2枚しか無かった.あとの人はマットなんか無いしね.何をしいてたかしらないけど,皆さん加工して(工夫)するからね.私熱あったから寝てたけど,家内と子供たちはまた,1枚でも何でも着るもの(家の跡から)取ってこないけませんから.
妻)それからが大変ですね.
夫)でも晩はいっぱいになりましたよ.入れなかった人もいたしね.
妻)もう,晩は入れない.ぎっしり.
*****
(当日の食事)
−ところで食べ物は?
次女)布団とか出して落ち着いてから,食べ物と飲み物が無いってことに気がついて.近くにローソンがあったんで,姉とすぐ買いにいってくるって言って,ちょっとだけお金持って行ったんですけどね.そしたらもう,陳列棚に何にもなくって,人がもう20人ぐらいズラーッって.その時には持ち出す人は誰もいなくて,ちゃんとレジに並んで待ってるんですよ,車もきちんと並んで.電気がきてないんでレジ動かないんですよ.でも店員さんが電卓で「大体のお金だけいただきます」ってちゃんと言って.「待っといて下さい」というふうに言って,「じゃこれいいです」って,パンを皆なに配って.朝早かったから,外にパンとか運んでる途中だったみたいで,そのカゴがあるんですけど,パンがいっぱいのってる.そこからパンを持ってレジへ並んでる人とかいて,持ち出す人なんか誰もいなくて.
−商品とかはちらばって,床がメチャクチャなってたんですね
次女)はい,なってますからよけて歩いたり.そこで一人座って,漫画をガーッと読んでる男の人がいて,この人おかしくなったんちゃうかなあと,そういう時でもこういう人はいるんだなあと思った.とりあえずお菓子とかでもいいから買ってね.
−結局,最初にその日食べたのは,いつごろ
夫)夕方食べたんですよ.避難所行ってからそのお菓子とかね.
−それまでは,食べるなんていう頭はないと.ようやく避難所行って,ああ,そうだなんか食べよう,とりあえずなんか食べなきゃという感じで.どうですか,そういう時,なんか食べて,お腹空いてておいしいか,それともなんにも食べた気がしなかった,味なんかわかんなかったとか.
次女)とにかく口に入れただけって感じで.
妻)食べることにはあんまり意識がないんですね.
次女)配給みたいなのが,体育館に夜にきたんですけど.パンだけなんですけど.でも数が少ないんで,“お子さんとかお年寄りのいる方に出来るだけ譲って下さい”っていう風に言われたんで,結局それは食べてないね.
夫)取りに行かんかった.
妻)そこもなんか,順序正しいっていうかね,我先にじゃなくて,(体の)悪い人に先に与えて,我慢する人は我慢してました.
(当日の夜の状況)
−当日の夜の時点で,体育館はぎゅうぎゅうでしたか
夫)もう,いっぱいだった.布団,乗らないといけないぐらいでした.真ん中に道は作ってましたけどね.修学旅行でゴッタ寝してる感じ.
妻)ぎゅうぎゅうでした.もうぎゅうぎゅう.それにあっちこっち犬も連れてきてましたから.
夫)犬,みんな,おとなしかったなあ.
妻)怖さもあるし,“ああいう時は犬もわかるのかなあ”思いましたね.やっぱり飼い主が必死やというのがね.喧嘩もしません.
次女)ちっちゃい子供より,犬のほうがおとなしいぐらい.
妻)犬のほうが,おとなしかったですね.
−ちっちゃい子供は,遊んじゃってさわいでる感じ?
次女)どこも何日か経ったら,やっぱり落ち着いて.
夫)当日は静かでしたよ.
妻)余震がずっときてましたから,それで皆さん,くるたびにワッと,こう緊張して.
夫)もう聞こえるんですよ,ゴーッてしてからガサガサとゆれるのが.ゴーッとしたら,皆さん緊張するわけですよ.
妻)体育館の上のライトも,こうゆれるんですよね.それで,またわぁっと怖いんです.でも体育館があれで倒れてませんでしたから,ここは大丈夫だろうと.
避難所における弱者
(老人)
夫)毛布がね,晩に40枚って言ってましたよ.多分200人位いたと思いますけどね.それでもお年寄り先にもらうの皆な待ってね.うちは家内が布団とかでも取ってきましたから,元々行く気はなかったんだけど,皆さんやっぱり,無い人でも優先にね,お年寄りとか先にしてましたよ.ぼくやっぱり,ああいうのは日本人の,海外へも行ってますけど,ああいうのがあったら,全然ダンチですね.日本人のおくゆかしさっていうか,礼儀正しさっていうかね.
それから,僕は,ある面で今後いろいろ考えた方がいいと思うのは,お年寄りはね,電気を夜つけて寝る人と消して寝る人といるということ.つけて寝るひとは,自分が夜トイレ行くとかいろいろありますから,なんかひっかかってね.老人ってのはね,転んだらおしまいだってのはもう,よく知ってるわけですよ.年寄りで転んだら,どっか患ってなかなか直らないんですよ.それともう一つ,明るいと寝れないというご老人がいるわけですよ.体育館だから電球バァーとあるでしょ,電気消してくれって言う老人がいるわけですよ.消すと,いや,恐いからつけてくれって言うんですよね.これは先生たち,ものすごく困ったと思いますよ.でどうしたかいうと,わっと,1列,2列ずーっとあるやつ,一方だけ消したんですよ.そしたら皆さんも辛抱されてましたけども,ああいう時は,横なら横,縦なら縦になんかちょっとでも幕かなんかね,たらして,一方は明るくつけてあげる,一方は薄暗いっていうかね,でもいいっていう風にしたほうがいいなって感じましたね.
−最初,すぐにはそういうことできないと思いますので,アイマスクかなんかでね,とりあえず代用して.暗くなくては駄目な人には,それをかけてもらって寝てもらうとか,音が聞こえて寝れない人には耳せんをあげるとか,そういうのは多少,有効でしょうね.
夫)そうかもしれませんよ,それは.やっぱり必要かもしれませんね,そういう人がいましたよ.僕は,その時にね,そういう工夫が必要だなあと.若い人はね,どっちかせいって言えるけどね,お年寄りはね.トイレを起きるから明るくないと人にひっかかるとか言われちゃうとね,言えなくなっちゃうんですよね.ですから,やっぱりそういうお年寄りのいろんな生き方っていうのがありますからね.
(乳幼児)
妻)あと,やっぱり赤ちゃんのいらっしゃる方は大変だったと思いますよ.おしめは,買いに走っても,もう紙おむつもありませんし,お水が出てませんから洗うということもできませんし.ミルクも即,できるってわけにはいかないですしね.私は若いお母さん大変だと思いましたね.
(病人)
妻)主人も熱が出てましたからね,お薬もないし,冷やすのもお水も氷もないわけですよね.40度近くずっと続いてましたから,もう肺炎になったら困ると思いましてね.大阪にある会社からは“別な所に移れ.そっちの方が整っているから”っていう指示がきたんですけどね.ですけど動かすに動かせないですし,足も無いし,歩いていくわけにもいかなくて,電車も通ってませんし.ということで,そこにいるのが一番いいと思いましてね.そうしましたら冷蔵庫が1つ,体育館にはまだ電気があったんです.でまあ,氷使わせていただいたりとか,随分お世話になりましたね.
(避難所の運営)
(コミュニティの構成)
−深津小へ避難されてこられてるのは高松町と他には?
妻)高松町か,阪急のあの一円じゃないかしらね.
次女)町別に分けた名簿って作ってたやんか.3日めぐらいにはだいぶ出来てきて,名簿が,貼りだしてありました.誰がいますっていうように.あったよね.
妻)ありました.それで出ていくときには,それを何処何処行きました,ということで,消して行き先をその横とかにメモして行きました.
次女)すごいいっぱい町があった.
夫)やっぱりだから,相当の所からきてらっしゃる.
妻)空いてるとこ,空いてるとこ探してこられたのかな.
先生とPTAとの連係プレー
夫)そこの学校の先生たちは苦労したと思いますよ.
妻)そう,先生方には本当にお世話になりました.もう本当によくしていただいて.やっぱり,学校の先生だからあそこまで出来たんじゃないかと思います.避難してきた親御さんがいらっしゃいますでしょ.それで先生方が何かチームを作るので,PTAの方,お弁当配りとか,お茶配りにしても,人集めして下さいっておっしゃられましたからね.で,お母さん方が人員の点呼とか,お弁当配りに毎回来ますからね,それを割り振りして,率先して出てらしてとか.あと,いろんな取り決めを先生方と相談して,生活がやりやすいように,だんだん改善されていきましたからね.まずお父さんやお母さん方が動かれたんです.
−そういうつながりができる点で,先生がリーダーシップをとられることが,逆に有効に働くということですかね.見知らない市の職員がきてもうまくいなかいだろうと.連携プレーがとれる点で,先生方にやっていただく方が,結構メリットはあった
妻)メリットはあったんじゃないかと思います.
次女)外から来たら中も知らないもんね.先生じゃないと電気一つ,スイッチ一つもわからないし.
妻)先生だと,すみませんけど,そこそうさしていただけますかということで,私たちも電気1つ消してみたり2つ消してみたりして,できましたけどね.外からきてたら,皆なもたもたしちゃって駄目だったと思います.
−先生にとっては非常に大変な仕事ではあるけれども,そういう時には頼りになる存在である
妻)先生,不眠無休で本当によくしてくださいました.メインで教頭先生がずっといらっしゃったんだっけ.ほんと感謝してます.お礼にも伺ってないんだけど.
(トイレの水)
夫)それから,も一つはね,避難生活では水ですよ,水.最初はね,先生たち(深津小)も気がつかなくって.水が出ないってことは,すぐトイレが困るってことになるわけですよ.次の日にね,頭のいい先生がおったんだと思いますわ.あそこは上の方にプールがあったんですよ.寒いんだけど冬でも水張ってんでしょ.その水を使えばいいって,そっからね,ホースつっこんでね,サイフォン式に使って,下へ持ってきて,水が使えます.それでバケツを皆な準備して,自分がトイレ行く時はそのバケツに水を汲んでいってね,それで処理するという方式を次の日からとったんですよね.だけど最初の日はね,そういうことなかなか気つかんかった.
次女)(最初の日は)「若い人たち出て下さい」って言われてバケツをもって,プールまでいって汲んで.結構,4往復ぐらいか,行きましたね.各階のトイレにバケツを持って行って下さいってことだったんで,1階から4階のプールまでまた上って下りて.
妻)3階に私たちはいたんですね.3階の体育館やね.で,職員室が2階でした.4階がプールで.
−4階にプールがある建物で.じゃ,ちょうど真上にプールがあるからそっから水を
夫)サイフォンでしてたわけですよ.
妻)ですからあれになってからは,まあきれいになりました.
夫)楽やったよね.トイレが混んでるというのはそんなにはなかったですね.
妻)多少,汚れはありましたけど.2・3日目ぐらいからはきれいにね,皆なで今度きれいにしましょということで.非常にスムースでしたね.
−そのバケツって,若い人が運ぶのも,わりと皆さん,じゃ行こうかって感じで,ブーブー言ってるのもあんまりいなかった?
妻)率先してでていかれました.
次女)いないです.小学生とかでもやってる子もいた.
(避難所への援助)
−食料はちゃんと毎度,きてたんですか?
妻)きましたね,あそこは1番.北口までは電車が来てましたしね.
夫)それから個人がね.北口までは電車が通ったんでね.皆さん,北口だもんだからね,いっぱいいろんな物を持ってきてくれる.
妻)それとサティ,イズミヤのサティ.サティが一番に差し入れを持ってきてくださいましたね.
次女)パン屋さんやったよ.
妻)パン屋さんだったかな.個人のお店とか,企業がお弁当や差し入れをね,持ってきてくださって.ですから食べる物は豊富にありました.最初だけ無かっただけでね.
−そういうかたちで,地元の企業関係も率先して,そういうふうに手を差し延べてくれた
妻)そうです,多分できる範囲内で.北口は大阪からすぐ輸送が可能だったからと思うんですけど.東灘とか神戸とか,だんだん向こうへ行くほどね.
夫)災害もきついし.きついってことは,交通網が遮断されるから行かないってことになるわけですよ.
*****
(4日間の避難所生活をとおして)
−避難所の生活でなにか気がついた点とか,不満点というのは
妻)4日間しかいなかったので,いいとこしか見えなかったのかもしれませんけども.その後の方は,疲れが,もう,くっついて寝てますでしょ.人が多くて,体,のばせないんですよ.それほど詰まりましたね.皆な,どうぞ,どうぞっていうことで最初は譲り合ってましたけど,それが何日も積もると,座ったまま寝なきゃいけない状態になってましたから,疲れてしまって.お隣の方なんかも,何とかしてほしいということで.
夫)10日過ぎたり,2週間すぎるとやっぱり,私生活のこともありますからね.あれ見てたら,結局,行った人たちは隣との間に段ボールで仕切りしたりなるでしょ.私たち短かったからね,全くそういうこともないしね.その人たちがしたことに対しては,何にもあれやないですけどね.非常に,あそこの深津小学校というのは,水でも思い切って,プールを使って,サイフォン方式で使おうとか,アイデアも良かったし,皆な,集まってる人が,最初,毛布も40枚しかないのに,それ秩序よく皆さんが分けて,最初のパンだけでもチョビッとしかなかっても,皆さんそれに対してブツブツ言う人もいなかったし.後は,2日後ぐらいからは食べ物もね,相当おにぎりがきたりいろいろしましたですよね.
妻)私なんか逆に言いましたら,普通の今のような,この満ち足りた生活では味わえないような連帯感とか,充実感というか,人の情けだとか知ることができたというので,却って力が湧くっていうかね.私たちは,短期間でしたからね.それが長期になると大変だったと思いますけど.
夫)私がずっと熱でて寝てたもんですからね,お隣の人も自分がある病気でいろんな薬を持ってたんだけど.
妻)腎臓移植をなさった方が隣にいらしたんです.風邪をひくと困るのでということで,たくさんいろんなお薬を病院からもらってらしたんです.それを主人にどんどん,どんどん下さったんです.それでね,後で聞いて腎臓移植してるっていうことでびっくりしました.黙ってらしたから,わからなかった.貴重なお薬をね,主人にどんどん下さったので,主人はそれで肺炎にもならなくて本当に助かったと思います.
−体育館だから,別に暖房もなかった?
妻)暖房はなかったですね.やっぱり,夜になると寒かったと思いますけど,私たちは皆,周辺も皆,団子になってましたから.着るもの着て,お布団かぶってましたから.いつでも逃げられる状態で,逃げられるというかそのままの状態.
妻)そういういろんなね,有り難いことがたくさん重なりました.
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